男色趣味!?破産!?壮絶な人生を歩んだ偉大なアイルランド人作家オスカー・ワイルドとは!?

人格者から変わり者まで!世界の有名作家たち!,文学

wikipediaより

同性との不純な行為で刑務所へ行くなど、19世紀末を代表するアイルランド人作家オスカー・ワイルドは波乱万丈な人生を送ったことをご存知でしょうか。今回は偉大な作家オスカー・ワイルドの知られざる生涯についてご紹介します!

オスカー・ワイルドとはどんな人

wikipediaより

オスカー・ワイルドが生まれたのは1854年、当時イギリスとの連合王国であったアイルランドのダブリン。医者家庭に生まれた彼は裕福な幼少期を過ごします。しかし詩人である母は女児を欲していたことから、ワイルドは女装をさせられることもあったそう。

多くの分野を学んで知見を得たワイルドは1871年にダブリン大学のトリニティ・カレッジへと進学。その後20歳になった1874年にはオックスフォード大学に進学し、14世紀イタリアのルネサンスについて学びました。

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オックスフォード大学を卒業した後は、アメリカ各地で講演をしたりパリに滞在したりと、世界を旅したワイルド。1887年からは3年の間雑誌の編集者として活躍し、派手な言動で一躍社交界の人気者となりました。

wikipediaより ワイルドとアルフレッド

しかし1891年のある男性との出会いが彼のその後の人生を大きく変えることになります。それは、16歳年下の文豪アルフレッド・ダグラスでした。彼と親しくなったワイルドは一緒に各地を旅するなど、徐々に親密度を高めていきました。

ワイルドの牢獄

しかしその出会いから4年後、アルフレッドの父親であるジョンは、息子をたぶらかすワイルドを告訴。ワイルドも負けじと応戦しますが敗訴し、男性同士での卑猥な行為を咎められて投獄されてしまいます。破産宣告も受け母も亡くしたワイルドはボロボロ。獄中ではダグラスに宛て、懺悔と反省の文を書き続けました。

出所後はアルフレッドと共にフランスとイタリアの各地を転々として過ごしますが、この頃世間でワイルドのことを気にかけている人はもういませんでした。彼はアルフレッドと離別後もさすらいの旅を続け、1900年にパリのホテルで梅毒による脳髄膜炎で、46歳という若さで死亡しました。

オスカー・ワイルドの作品

アルフレッドとの激しく乱暴な恋も終わりを告げた彼の晩年は寂しいものでした。しかし、彼の文学は確実に世界に大きな影響を及ぼしました。

wikipediaより ドリアン・グレイの肖像

日本でも森鴎外や夏目漱石、芥川龍之介といった名だたる文豪たちがワイルドを意識しています。そして、美しい少年の破滅の道を描いたワイルド唯一の長編小説『ドリアン・グレイの肖像』や、黄金でできた王子の像と燕の物語を描いた子供向けの短編小説『幸福な王子』など、今でも多くの作品が訳され、愛され続けています。彼の退廃的で子供騙しでない名作の数々は一読に値する傑作揃い。特に何度も映画化されている『ドリアン・グレイの肖像』がおすすめです。

寂しい最期を迎えたオスカー・ワイルドですが、その生き様も含めて今でも多くの人に敬愛されてます。興味のある方は是非彼の作品を読んでみて下さい!

ライター
のちぇ

3度の飯と海外旅行、猫が好きなちゃらんぽらん。読書や映画鑑賞、料理とゲームが趣味。好きな食べ物はアイスクリーム。現在リングフィットアドベンチャーで瘦せようと頑張っているが、動いた分の3倍食べてしまうため痩せる気配はない。